飲食やブライダル業界で培った「おもてなし」の現場経験を土台に、感動体験を事業として届ける──株式会社EpicStory代表・川崎桃子氏は、プレイヤーとして全国上位の実績を残した後、独立という選択をしました。2000名を超える経営者と向き合い、自らの軸を問い直しながら辿り着いたのが「人生は想い出づくり」という価値観です。本記事では、彼女がなぜ起業に至ったのか、そしてEpicStoryで何を実現しようとしているのかを、これまでの歩みとともに紐解きます。
目次

――幼少期の原体験は、現在の「感動」プロデュースという事業にどのように影響していますか。
私は、埼玉県の越谷で生まれ育ちました。父は製造業のサラリーマンで、私と遊ぶ時間を幼少期からたくさん作ってくれました。たとえば山に行って魚釣りをしたり、カブトムシを捕まえたり、家でもベランダにテントを貼っておうちキャンプをしたりと、父との休日は私にとっていつも大冒険そのものでした。
父は私を「あそびの学校」というコミュニティにも参加させてくれました。参加していたのは小学校の6年間でしたが、山芋を掘ったり、蛍や光コケを探しに洞窟探検をしたり、時には水光熱のない場所でサバイバル生活したりと、普段は経験できない自然の中での楽しみ方を身につけることができました。そういった活動をしていたこともあり、当時は家にいるよりも、山で遊ぶ方が好きな子どもだったと思います。
母は、小学校で授業のサポートをしている補助教員で、家庭内でも教育熱心な人だったと思います。とはいえ、特に勉強しろと強く言われることもなく、自由にのびのびと育ててもらったように思います。「家族とは子どもが経験する一番初めの小さな社会」であるという信条だった母は、私によく「プレゼン力」が大切だと言っていました。
旅行の資金を貸してもらうといった用件一つとっても、自分の言葉で必ず「何がしたいのか」「何が必要なのか」をプレゼンするようにというのが、私と母の間での決まりごとでした。今思うと、プレゼンの質がどうこうではなく、自分の意見や考えを相手に伝える大切さや、できないことに対してちゃんと「助けてほしい」と言う強さを母は私に教えたかったのかもしれません。
実際、母は自分の想いを手紙でよく伝えてくれる人でした。親子喧嘩をした日や、私が何かを達成できた時、私が母に気持ちを伝えた後のタイミング等、母から手紙をもらう場面は様々でした。いずれの手紙にも、母自身の気づきや想い、そして何より私への愛情がしたためられていました。
手紙の渡し方や内容にも、母なりの遊び心や工夫が散りばめられていることが多く、くすっと笑えるようなものもたくさんありました。そんな母の姿から私は幼少期から「心を丁寧に伝えるやり方」「小さな感動の作り方」を自然と学んでいたように思います。

――大学時代に「体験」に投資した経験は、現在の事業観にどのようにつながっていますか。
母の影響もあり、小学校の頃から私は、教員になる未来を自然と思い描いていました。小学校の頃は、美術や音楽といった感性重視の芸術系教科が好きで、それ以外の科目はどちらかというと不得手だったと思います。
中学に入ってからは、通い始めた塾の相性が良く、成績が急上昇しました。特に塾長の話は、「世の中は全て丸でできている」など、興味で釘付けになるような雑談が多く、「なんだそれ!」と毎回ワクワクしていました。そんな塾長の話を熱心に聞いているうちに、いつの間にか勉強もできるようになっていた感じです。
おかげで高校受験をすることなく、県内屈指の進学校に推薦入学できたのですが、勉強そのものが好きになったわけではなかったので、その後は苦戦することが多々ありました。大学は獨協大学の英語学科に進学したのですが、周りは帰国子女ばかりで、授業もほぼ英語というハイレベルな環境でした。高校まで英語は得意科目だと思っていたのですが、正直、授業にはついていくのがやっとでしたね。
その分、大学時代は、バイトや部活、友人たちとの交流に思い切り時間を使いました。毎日のように友人たちと遊び、長期休暇はほぼ海外。カンボジアやベトナム、台湾、香港、インドネシア、フィリピンなど、10カ国以上の国々を巡りました。とにかく「新たな体験」がしたかった。そのために、お金も時間も投資した日々でした。

――飲食業界を選んだ決め手と、当時大切にしていた判断基準を教えてください。
大学を卒業して、当初は教員になる予定だったのですが、教員実習のときの体験を機に進路を見直すことになりました。当時の私のスキルレベルと教育現場の実情を見るに、自分が思い描く体験重視の授業を実践していくのは厳しいだろうと感じたからです。最終的に就職を選び、株式会社きちりという全国にレストラン事業を展開している企業へと就職を決めました。
飲食業を選んだ理由は、私の大学時代のバイト経験にあります。最初のバイト先だった家族経営している料亭風居酒屋「秋田家」では「お礼を伝える大切さ」や「お客様への気配り」など接客のイロハを基礎から叩き込んでもらいましたし、その後に経験した結婚式場のバイトでも本当にたくさんの学びをもらいました。
オペレーションの人数に限界があっても、どんな状況であっても、お客様に喜んでもらえる場を作る。結婚式場のバイトでは、そのことばかりを考えていました。休みも少なく体力的にハードな職場でしたが、仕事に対して熱い心を持つ仲間たちに囲まれながら、夢中になって働きました。お客様の特別な日を作ることが本当に大好きでたまらなかったのです。
そんな「お客様の喜び」をもっと追求したくて、株式会社きちりに就職してから、4年間はひたすら奔走しました。きちりでは、「身近な人や大切な人をまず大切に、その輪を広げながら、大好きをいっぱいにしていこう」という考えのもと、おもてなしに対してスタッフに一定の裁量が与えられていました。
記念日用のプランではなかったとしても、お客様の会話から「大切な日のお祝い」だと分かったら、ちょっとした演出を自然に盛り込んでご提供するといったようなサービスが実現できたのです。

――サービスマンとして成果を出される中で、独立を意識するようになったきっかけは何だったのでしょうか。
サービスマンとしての人生はとにかく楽しく、眠る間も惜しいほど、ひたすらお客様を喜ばせる仕組みや仕掛けづくりを考えました。おかげで、リピーター獲得率で全国上位を獲得したほか、ベストプレーヤーとして表彰されたり、マネージャーランキングでも上位を記録したりと、経験してきた企業では仲間に支えられながら成績を残すことができました。
私が提案したおもてなしで口コミが広がり、広告費をかけていないのに、新規集客やリピートが大幅に増えたこともありました。このまま一生、サービスマンとして働き続けたい。お客様を喜ばせたい。そんな私の考えを大きく変える転機が訪れたのは社会人4年目のことでした。
大学の先輩で、美容系のネットワークビジネスをされている方から、声をかけられたのです。彼から話を聞く中で、一番衝撃を受けたのは「自分の働く時間の価値を自分で決められる生き方がある」ということでした。ちょうど現場で働く楽しさと、昇格しないと変わらない待遇との間で悩んでいた時期でもあったので、自分の将来を見直す意味もあって、ネットワークビジネスの話を聞いてみることにしました。
そしてそのことがきっかけで、サービスマンの自分や、会社という枠を超えた世界に興味が沸くようになりました。美容、金融、不動産、人材紹介など目の前にきた稼げそうな話は全部聞きに行きました。結論、どの仕事もその業界のプロにならなければ稼ぐのは難しいということが分かりました。商品や関連分野の専門知識とスキルを身につけなければ、お客様を喜ばせることはできないし、大きな稼ぎにも繋がらない。そこまでの勉強をして、たくさん足を運んで見てきたサービスマンとは別の業界を選び、自分を極めたいかと言われれば、答えはノーでした。
――2000名以上の経営者と会われた1年間は、どのような学びをもたらしましたか。
この先、私はどうやって生きていきたいんだろうか。今まで自分が見たことのなかった価値観に触れたことで、私は改めて自分のやりたいことが何なのかを模索することになりました。きちりの店舗では、企業としてのすでに築かれた世界観やブランドがあり、自分がやりたいサービスを実現するにも限界がある。それなら「自分で店をつくる」しかないのではないか。自問自答の結果、行き着いた答えは独立でした。
とはいえ、当時の私には経営のノウハウも資金もありませんでした。お店を出すにしても、何から手を付けていいのか分からない状態だったのです。そこで、まずは夜の仕事で生活費をまかないつつ、ひたすら経営者に会いに行こうと決めました。
全国を飛び回り、誘われた交流会に全て飛び込み、毎日毎日アポを取り続けて人の話を聞く日々が1年続きました。トータルで2000人を優に超える経営者や事業主の方々と連絡先を交換したように思います。どうすれば自分が求める未来にたどり着けるのか、当時の私は少しでもヒントを得ようと必死だったのです。
そうして1年が経ち、山のように名刺を交換して、気付いたのは「いくら人脈があっても、活かせる自分でなければ意味がない」という事実でした。たくさんの人から意見やアドバイスをもらっても、自分の中でそれが自分に合ってるのか、合っていないかの判断もできなかった私は、自分を見失ってしまったのです。がむしゃらに動き続けたけれど、ほとんど何も残らなかった。むしろ残ったのは、何者にもなれない自分への失望と虚無感でした。
そこで、私は周囲からの連絡を全て断ち切り、人と会うことを辞めました。不特定多数からのアドバイスは、もういらない。今はただ、自分の軸をつくりたい。そう思ったのです。
――事業が停滞する中で、どのような出会いが転機となりましたか。
そこから、カウンセリングやコーチングの助けを借りつつ、心と体の回復を図り、自分を見直す日々が1年ほど続きました。その後、ある程度回復した段階で、サプライズの演出サービスを始めることにしたのですが、ウェディング関連の実績をいくつかつくれたものの、事業は停滞し、バイトに頼って生計を立てる日々。
これからどう進めていくべきか、悩んでいたタイミングで元タマホーム株式会社の取締役であり、現在LIVE Doctor株式会社を経営されている小暮雄一郎さんから、メッセージを受け取りました。ちょうど小暮さんが独立起業に向けて準備されている頃で、まさかのメッセージに驚いたのをよく覚えています。
小暮さんとは、サプライズ事業を始めて間もない頃に一度面識があったのですが、初対面のときは会話らしい会話もろくにしていませんでした。でも、小暮さんは私のことを覚えていてくれて、「不動産の世界に、もっと温かみのある演出を取り入れたい」と声をかけてくれたのです。
小暮さんほどの力がある人なら、そういった演出を実現できる人は周りにたくさんいるでしょう。その中でなぜ私に声をかけてくれたのか。彼の意図が理解できず、正直なところ、最初は小暮さんを疑う気持ちもありましたが、今では小暮さんとの出会いに、本当に感謝しています。
――EpicStoryとして、今後どのような価値を社会に提供していきたいとお考えですか。
小暮さんとの出会いをきっかけに、私は自分の事業を少しずつ前に進めることができ、LIVE Doctorのサポートの元、会社を立ち上げました。2025年2月28日、31歳の私の誕生日とともにEpic Storyは産声を上げたのです。
それまでの私は、確固たる「自分ならではの商品」を持っておらず、「自分が何者か」を胸を張って語ることもできずにいました。できる仕事をとにかく片っ端からしただけ。そんな自分に、どこかで負い目があったのだと思います。
31歳までに「自分が何者なのか」を掴み取りたい。胸を張って、自分や自分の商品を語れるようになりたい。そんな私の思いを汲み取った上で、達成に向けて伴走してくれたのです。
過去の経験すべてを活かして、「感動」をプロデュースし、関わる人たち全ての心の温度をあげる。何気ない瞬間から特別な日まで、自分と大切な人の全てを愛せるような人生を見つめ直すきっかけ作り。それがEpic Storyの事業であり、私の提供したい価値です。
現状は会場に属さないフリープランナーとして、自分や大切な人と向き合えるようなオリジナルの結婚式をプロデュースしていますが、将来の目標は“結婚式”のような家族のイベントを人生にもっともっと増やしていくこと。少しづつですが、結婚10周年で改めて愛と感謝を伝え合う「セカンドプロポーズ」、そしてご両親への感謝を改めて伝える「家族式」などをプロデュースし始めています。私たちの作る企画が、家族をはじめ大切な人と向き合う場になり、普段言えていない「ありがとう」と「大好き」を伝え合うきっかけになったら、この上ない幸せです。
人間だれでも、最期の瞬間が訪れます。その時、どんな人にそばにいてほしくて、その人とどんなことを思い出し、語り合いたいか。その「最期の瞬間」に選ばれるような、人生の終わりに思い出したくなるような幸せな瞬間をプロデュースしていきます。「人生は想い出づくり」の連続だからこそ、一瞬一瞬を大切に、心に焼き付くような「感動」を一人でも多くの方にお届けしたいのです。
Epic Storyはまだまだこれからの会社ですが、この想いに共感くださる方と一緒にお仕事ができればと思いますし、一緒に事業を拡大していけたらと願っています。皆さんとEpic Storyとの間で紡がれる「想い出」が、人生に残る「感動」になるように、これからも全力で走っていきます。
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川崎桃子
株式会社Epic Story 代表取締役
株式会社Epic Storyは、飲食・ブライダル業界を中心に、心に残る「感動」体験をプロデュースする企業です。現場での接客・店舗運営経験を土台に、想いをカタチにする動画制作やイベント設計などを通じて、顧客の心の温度を上げる体験設計を提供しています。川崎氏は、株式会社きちり在籍時にリピーター獲得率・上位店舗育成部門で全国1位を獲得するなど、現場起点の実績を持ちます。2025年2月28日、LIVE Doctorのグループ企業としてEpic Storyを設立しました。
川崎氏は、現場で磨いたおもてなしの力を「事業」として再構築しようとする実践者です。2000名を超える経営者と向き合い、自らの軸を問い直した経験は、単なる感動演出にとどまらない、覚悟ある経営判断の裏付けといえます。「人生は想い出づくり」という思想を軸に、心に残る体験を届けるEpic Story。その挑戦は、LIVE Doctorが大切にする「人の可能性」とも深く重なっています。