デジタル化が進む一方で、ネット炎上や誹謗中傷といった負の側面は、企業経営において無視できないリスクとなっています。 2008年に創業したシエンプレ株式会社は、そうしたデジタルリスクに専門的に向き合ってきた企業。日本で先駆けてデジタルリスク管理に取り組み、ネット上の風評被害・誹謗中傷対策を中心に、企業の信頼を守る支援をおこなっています。 「他社がやりたがらないネガティブな課題を解決した先にこそ、本当の意味での平和や豊かさがある」。そう語るのが、代表取締役の佐々木寿郎氏。 本記事では、佐々木氏がどのような原体験を経て、デジタルリスク管理という分野にたどり着いたのか。そして、今後のデジタル社会をどのように見据えているのかを、事実に基づいて整理します。
目次


――まず、どのような環境で育ち、子どもの頃はどのような日々を過ごされていたのでしょうか。
私の出身は、長野県南部の阿智村です。村役場で公務員を務める父と漬物工場で事務の仕事をしていた母との間に生まれ、起業や経営とは特に縁のない環境で育ちました。幼い頃から外遊びが好きで、小学校低学年までは体育が得意科目でした。
時間があれば、バットの代わりにテニスラケットを使って野球のような遊びをしたり、サッカーに励んだり、やんちゃな子ども時代を過ごしました。そんな私に対して、父も母も「勉強しろ」と厳しく言うこともなく、自由にのびのびと育ててくれました。
当時から自分の決めたことは曲げない方だったので、それこそ親に叱られたり兄と対立したりした際に、数日間ご飯を食べずに自分の意見を訴え続けたこともあったほどでした。友人が持っている雑誌の付録グッズに憧れ、似たようなゲームを自作しようと3、4時間ぶっ続けで作業をし続けたこともあります。自分の意志を貫き、好きなものにはとことん熱中する気質は、大人になった今でも変わっていないように思います。
――遊び中心だった日々から、勉強に関心が向くようになったきっかけは何だったのでしょうか。
そんな私が、遊びよりも勉強に関心が向くようになったのは小学校高学年に入ってからです。最初のきっかけは、長野県に旅行した時のことでした。川中島古戦場の史跡へと立ち寄る機会があり、そこで解説してくれた方の語りに一気に引き込まれました。
もともと歴史好きな方ではありましたが、川中島で上杉謙信や武田信玄が戦場を駆け巡っていた時代の声を聞いたかのような心地を覚えたことを機に、一気にのめり込んでいきました。

――成長する中で、「普通の人生で終わりたくない」と考えるようになった背景を教えてください。
親に頼んで、歴史漫画を買ってもらっては読み漁る。そんな日々の中で、ふと「一度しかない人生、このままでいいのだろうか」という思いが浮かぶようになっていきました。田舎で一生を終えたくない。普通の人生で終わるのは嫌だ。そう考えるようになったのです。
そこからは漫画の影響もあり、「このままじゃダメだ」と文武両道を目指して、1日2時間の自主学習を始めました。学習の習慣化さえできれば、学校の勉強は攻略できるものです。中学に進学してからは、ほぼオール5の成績を収め、テニス部でも部長として地区大会優勝等の実績を出すことができました。
――進学校での生活は、ご自身にどのような影響を与えましたか。
高校は地域で一番の進学校に進みました。高校では寮生活をしていたのですが、群を抜いて優秀な人が多く、医学部や京都大学にストレート合格を果たす面々に囲まれた生活を送りました。中学時代は秀才扱いされていた私ですが、そこで初めて井の中の蛙だったのだと気付いたのです。
振り返ってみると、高校時代は周りからの刺激を受けつつ、テニス部の部活に励み、勉強にも力を尽くした3年間でした。おかげでテニス部では大会優勝を果たし、全国模試でもトップクラスの点数を取ることができました。特に数学については、公式や解法パターンを全て丸暗記するという自分なりの攻略法を見いだせたのが大きく、気づけば得意科目になっていました。
成績が良かった分、高校側からの期待も大きかったのでしょう。進路指導の際に、指定校推薦を希望しても取り合ってもらえず、国公立以外への進学を認めようとしない学校側の姿勢に、当時の私は猛反発しました。
そこからはホームルームをボイコットし、逆境をプラスに変えようと、学校側から勧められた志望校よりもハイレベルな京都大学を目指すと決意し、自主学習をひたすら進めました。学校の授業が非効率だと感じていたので、高校3年生の後半はほとんど内容を聞き流して、自分の勉強を進めている状態でした。

――大学進学後、将来を考えるうえで意識するようになったことは何だったのでしょうか。
残念ながら、暗記をベースに攻略した数学が通じず、京都大学は不合格になってしまったのですが、後期試験で合格した横浜国立大学に進学しました。横浜国立大学では、経済学部の中でも法律を合わせて学べるコースを選択しました。
大学ではとにかく知識を身につけようと、1日1冊のペースで実用書を読みました。テニスサークルの面々とも仲が良かったので、遊ぶ時間も確保しつつ、勉強も手を抜かなかったので、とにかく時間が足りなかったことをよく覚えています。一時期はナポレオンの「3時間睡眠法」にも挑戦したのですが、体調を崩して1ヶ月で断念してしまいました。
充実した大学生活を経て、いざ就職活動を進めていく中で、私の頭にあったのは「ビジネスにおける絶対的な力を若いうちに身に付けなければいけない」という危機感でした。ちょうど1997年というバブル崩壊後のタイミングで、日本は金融危機に陥っていました。ニュースを見れば暗い話題ばかり。大企業に入れば安泰の時代は終わったのだと、当時の私は強く感じていました。
――当初は、どのような進路を考えていたのでしょうか。
最初に就職先候補として考えたのは、外資系コンサルと総合商社でした。いずれも年収が高い分、若手でも力がつきやすい環境だろうと考えたからです。ところが、OB訪問をしてみると、自分とはあまり相性が良くないように思えました。
外資系コンサルから一応、数社内定が出たものの、自分の中でどこかに迷いがあったのだと思います。孫正義さんをはじめとする「ベンチャー三銃士」のニュースを見て、「大きなことを成し遂げられる人」への憧れから、ベンチャー企業の説明会にもいくつか顔を出すようになりました。
――ベンチャー企業へと気持ちが傾いた決定的な出来事は何だったのでしょうか。
ベンチャー企業の説明会に参加はしてみるものの、そのまま就職する考えはなく、将来的にベンチャービジネスに関わってみたいという程度の思いだったのですが、そこで人生を変える巡り合わせがありました。たまたま参加した説明会で出会った人材ベンチャーに心を掴まれたのです。
創業わずか3ヶ月、社員3名のベンチャーが新卒採用をしている。そのこと自体がまず衝撃だった上に「この会社ならどんな環境下でも生き残っていけるのではないか」と感じさせる社長のパワーにも圧倒されました。思わず興味を惹かれ、選考を進んで内定も頂いたのですが、その時点でもまだベンチャーに就職する気はありませんでした。
――それでも、最終的に決断に至った理由は何だったのでしょうか。
ところが就職を断ったところ、「営業のバイトだけでもしてみないか」と誘われ、営業経験を積みつつ、ベンチャーの環境でしばらく過ごすことになりました。一緒の時間を過ごし、彼らのビジョンや熱量を肌で感じるうちに、どんどん引き込まれていく自分を感じました。また、営業のバイトでも一定の成果が出せていたので、入社後にやっていけそうなイメージも湧いていました。
――外資系コンサルの内定を断ることに、周囲の反応はいかがでしたか。
結果、外資系コンサルの内定を断り、人材系ベンチャーへの就職を決めたわけですが、両親からは猛反対されました。特に父は激怒し、「二度と敷居をまたぐな」と言われて、一時期は勘当されました。それでも、自分の決めた道を曲げようとは思いませんでした。むしろ成果を出して、両親にきちんと報告できるようにしたいと考えたのです。
そして入社後半年経ってから、両親に手紙を出しました。仕事でどんな人脈を築いているかを示し、「自分の選んだ道が正解になるように全力でやるから、見守っていてほしい」と伝えたのです。そこでようやく和解できました。
――入社後、仕事は順調に進んだのでしょうか。
ただ、入社後すぐに順調に成果が出せたわけではありませんでした。入社日に大型の契約を2件獲得するも、その後は苦戦し、入社同期の中で最下位の状態が続きました。他人と比べて落ち込むことはありませんでしたが、他の誰よりも成長する自分でありたいとは思いました。
自分の成長率を最大にしたい。そのために、日々のテレアポでも「他の社員が電話をやめてから、3社連続で誰もコールに出なくなった時点で辞める」というルールを自らに課し、1日18時間ひたすら働きました。提案書を作る際も、できる工夫は全てこらし、あらゆることに全力投球し続けました。
――新規事業を任されることになった経緯を教えてください。
そうして入社3年目を迎え、営業部隊から一転して、新規事業として進めていた惣菜店を任されることになりました。店舗の立地やコンセプトが顧客層と合わず、赤字続きの事業をどのように改善していくか。勝ち筋を見出すべく、アンテナを広げていたところで、目に止まったのがお弁当の路上販売でした。
ワゴンに並ぶお客様の行列を見て、このやり方ならより効率よく販売できると考えた私は、翌日からお弁当を持ってオフィス街で手売りし始めました。数日やって、間違いなくいけると踏んだ段階で、中古のミニバンを仕入れ、さらに規模を拡大していきました。
規模が大きくなりすぎて、お弁当の生産が追いつかなくなってきたところで、事業は売却。次は、人材系の新規事業としてスカウト事業の立ち上げに携わることになりました。従来の人材スカウト業界は、ヘッドハンター個人の人脈を頼りに金融業界の一部で行われている程度で、仕組み化を進めている会社がありませんでした。
そこで、私はスカウト事業の業務を細分化し、分業化することで、人脈なしでも組織力で対応できるビジネスモデルを構築することにしました。今までにないビジネスモデルだったので、事業はどんどん成長し、業界最大手のポジションを確立するに至りました。
――スカウト事業の成長後、次にどのような役割を担うことになったのでしょうか。
スカウト事業の成長に伴い、会社がIPOを目指すことになったため、私は取締役管理部長兼上場準備室長として組織体制をさらに強化していきました。準備自体は順調に進み、いざ来年には上場というところで、やってきたのがリーマン・ショックです。
上場に向けた計画は全て白紙になり、そこからは時代の流れに合わせて、経費削減事業やM&A事業、SEO事業と新事業を次々に立ち上げていくことになりました。最後に立ち上げたのはSEO事業でしたが、当初はブルーオーシャンだったものの、競合の参入が増え、価格競争が激化。このままでは厳しいと危機感を感じていた折、ある既存顧客から風評被害の相談を受けました。
「ネット上に嘘の情報が大量に書き込まれてしまい、採用や銀行の取引に悪影響が出て困っている」ということで、お困りごとを解決できるように施策を行ったところ、劇的な効果が得られました。顧客にも大変喜んでいただき、確かなニーズを実感できました。

――そこから、起業に至った経緯を教えてください。
そこからの流れで、2008年にシエンプレ株式会社を創業し、ネット炎上・誹謗中傷対策サービスを広めていくべく、日本で先駆けて取り組んでいくことに決めました。困っている顧客がいて、サービスが求められている。なら、自分がやっていこう。そんな感覚での会社設立だったと思います。
サービスそのものは順調に成長し、2年目3年目と飛躍的に売上が伸びていきました。当初はネット上の風評被害対策ができるということ自体が知られておらず、ライバルもほぼいなかったため、営業すればするほど成約が決まっていく状態だったのです。
――事業が拡大する中で、競争環境はどのように変化していきましたか。
ところが、次第に参入企業が増えていき、類似サービスを極めて安価に提供する競合他社も散見されるようになっていきました。安かろう悪かろうの会社はいずれ消えていくと考えましたが、とはいえ、手を打たないわけにはいきません。
決して安売りすることなく、お客様に納得してもらえる状態で適切な価格を打ち出すにはどうすればいいか。私たちはその答えが「信頼」と「品質」にあると考えました。この2つを顧客に分かりやすく伝えていくため、当社が最初に行ったのは大手損保会社との提携でした。
――具体的には、どのような取り組みだったのでしょうか。
あいおいニッセイ同和損保と一緒に「炎上保険(保険付帯型モニタリングサービス)」という保険商品を作り、顧客のデジタルリスク管理を予防から事後まで対応できるようにしたのです。また警察庁からの受託で、2014年からはサイバーパトロール業務も継続して行っています。
こういった大手企業や公官庁との連携を示し、かつ担当者を顧客ごとに任命する手厚いサービスを提供していくことで、他社と差別化でき、業界内でも圧倒的に信頼できる会社としてのポジションを獲得できたと考えています。
さらなる追い風となったのが、2012年に起きた当社に対するネット上の誹謗中傷事件でした。「シエンプレは自社で顧客の悪口を書き、営業をかけて成約してから消すというマッチポンプをしている」という掲示板の書きこみがあり、1年かけて調査をした結果、競合他社の社長の手によるものだと判明したのです。
調査結果をもとに法的措置を取るというプレスリリースを出したところ、メディアにも多数取り上げていただき、結果、競合他社は半年もしないうちに事業を閉鎖。当社の顧客も一層増え、業界内での地位がより強固なものとなりました。
――現在、デジタルリスク管理という分野をどのように捉えていますか。
デジタルリスク管理の業界は「信頼」と「品質」が大切だと、私は考えています。だからこそ、当社だけでなく、業界全体をより良くしていきたいという思いから、2020年より社内シンクタンク機関として設置していたデジタル・クライシス総合研究所を2023年に一般社団法人化し、活躍の場を広げていくことにしました。
ネットの炎上は、2025年だけでも年間に5500件以上発生しており、企業が絡む案件はそのうち500件ほどです。ソーシャルメディアが普及した現在、炎上の数は今後、増えることはあっても減る見込みはほぼないでしょう。
一方で、デジタルリスク管理を万全にしている会社はまだまだ少なく、たとえ大手企業であってもレピュテーションリスクへの備えが不十分なケースは多々見受けられます。だからこそ1社でも多く、健全なデジタルコミュニケーションを促進する体制づくりに貢献していきたい。それが私たちの使命だと考えていますし、シエンプレにしかできない役割だと考えています。

――今後の目標について教えてください。
当社はデジタルリスク管理の先駆けとして、これまでに日本のBtoC分野の売上上位1000社のうち、2割を超える会社にサービスを提供してきました。これをゆくゆくは5割以上のシェアに拡大させていくことが現在の大きな目標です。
その他の目標としては、ネットに書かれた口コミを企業が放置するのではなく、それに対して真摯に対応し、回答するというコミュニケーションを新たな「常識」にしていきたいと思っています。そのために、2021年に立ち上げたのが「ネット上の口コミ・評判に対する企業の公式見解が見られるメディア『kai』」です。2025年時点で500社ほどの企業に利用いただいていますが、まずは2000社、そして最終的には1万社を超えるユーザーに利用いただけるようにしていく予定です。
あとは、2025年に新規事業として立ち上げたサイバーセキュリティサービスの拡大にも今後力を入れていきます。サイバー攻撃がますます苛烈になっていく中で、対策が追いつかない中堅・中小企業を中心に、防御体制の構築を支援していく方針です。
――最後に、これからのデジタル社会に対する考えを聞かせてください。
デジタル化が進み、AIの活用が進む中で、多くの人はそれによって得られるメリットやベネフィットばかりに目を向けがちです。しかし、負の面であるデジタルリスクと真剣に向き合い、その課題を解決しようと取り組む企業は決して多くありません。
他社がやりたがらないネガティブな課題を超えた先にこそ、本当の意味での平和や豊かさがあると私たちは考えます。デジタルの進化・浸透によって生まれた課題の数々を解決し、「正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。道理や条理が正しく認識される健全でシンプルな社会」を目指して、シエンプレはこれからも歩んでまいります。
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佐々木 寿郎
シエンプレ株式会社 代表取締役。
2008年に同社を創業し、企業のネット炎上や誹謗中傷対策を中心としたデジタルリスク管理事業を展開している。日本で先駆けてデジタルリスク管理に取り組み、ネット上の風評被害が採用・取引・企業評価に与える影響に対し、実務ベースでの解決を積み重ねてきた。
同社は、警察庁のサイバーパトロール業務を10年連続で受託するほか、大手損害保険会社と連携した保険付帯型サービスの提供など、「信頼」と「品質」を軸とした事業運営を特徴とする。価格競争に依存せず、企業のレピュテーションリスクに長期的に向き合う姿勢を強みとしている。
デジタル技術の進展は、企業活動に多くの利便性をもたらす一方で、炎上や誹謗中傷といった新たなリスクも生み出しています。LIVE Doctorでは、こうした時代背景の中で、専門性をもって社会課題に向き合う実践者を紹介しています。
佐々木寿郎氏は、デジタルリスク管理という当初は認知の低かった分野に早くから取り組み、事業として成立させてきた経営者です。目立つ成果や流行ではなく、「企業の信頼を守る」という本質的なテーマに向き合い続けてきた姿勢は、経営判断の質が問われる立場の読者にとって、冷静な参考材料となるはずです。